「赤ちゃん、向きがよくないねぇ」
しばらくすると、先生から声が聞こえました。
「赤ちゃん、向きがよくないねぇ」
それは、私に向けた言葉だったのか、スタッフに向けた言葉だったのかはわかりません。
でも、しっかり耳に入りました。
……今、不安になることを言わないでください。
帝王切開をすると決まってから、私はずっと、
「これで息子は無事に生まれてくる」
と思おうとしていました。
なのに、手術中に「向きがよくない」と聞こえてくる。
何がどうよくないのか。
すぐに生まれるのか。
息子は大丈夫なのか。
また頭の中に不安が広がります。
でも、私にできることは何もありません。
両手をぎゅっと握りながら、息子が出てくるのを待ちました。
息子が外の世界へ
それでも手術は順調で。
そして、ついにその瞬間がきました。
お腹にメスを入れて、5分も経ってないと思います。
お腹を強く押されるような感覚があり、
息子が、お腹の中から外へ出されました。
先生が息子を掲げます。
一呼吸あって、
泣き声が聞こえました。
――無事出た。
――泣いた。
――生きてる。
――よかった。
――泣き方へただなぁ笑
これが、私の最初の感想でした。
ドラマのように、顔を見た瞬間に、
「かわいい!」
「愛おしい!」
と気持ちがあふれたわけでもありません。
息子は元気に泣いていました。
でも、なんだか上手に「オギャー!」と泣けず、少し頼りない泣き方に聞こえました。
その泣き声を聞きながら、
「今日一日、苦しかったね」
「ごめんね」
「君もがんばってたんだね」
と思いました。
陣痛の間、息子の心拍が下がるたびに、私は不安でいっぱいでした。
私も苦しかったけれど、息子もずっと苦しかったのだと思います。
無事に外へ出てきてくれた。
そのことが、何よりもうれしかったです。
初めて見た息子
生まれた息子は、すぐに体をきれいにしてもらいました。
私は手術台の上にいるため、抱き上げることはできません。
少し離れた場所で、スタッフさんたちが息子の状態を確認しています。
そして、準備が整うと、私の顔の近くまで連れてきてくれました。
この時、両腕がベルトから解放されました。はりつけ終了です笑
左腕で我が子を抱きながら、息子の顔をじっと見ます。
――小さい。
――やっぱり泣き方へた。
――君がお腹の中にいたのかぁ。
――やっと会えたね。
ずっと胎動を感じていた相手が、今、目の前にいる。
不思議なくらい実感はありませんでした。
十か月近くお腹の中にいたのに、初めましてです。
あぁ、でも3Dエコーの写真と同じ顔。
「ずっと一緒にいた」と「初めまして」が同居する不思議な感覚です。
息子の顔を見ながら、少しして、
「あぁ、かわいい」
と思いました。
最初から感情が一気に押し寄せたわけではありません。
少しずつ、少しずつ。
目の前にいる小さな人が、自分が守るべき存在なんだと理解していきました。
息子だけを見ていた本当の理由
手術中、私はずっと息子を見ていました。
生まれたばかりの息子から目を離せなかった。
そう書くと、なんだか感動的に聞こえるかもしれません。
でも、本当の理由は少し違います。
息子を見ていないと、怖かったのです。
私のお腹では、まだ手術が続いています。
息子が生まれたからといって、それで終わるわけではありません。
胎盤を出し、お腹の中を確認し、切った部分を縫い合わせる必要があります。
痛みはありません。
でも、お腹の中を触られている感覚はあります。
自分の体の中で何が行われているのか。
それを想像すると、怖くてたまりません。
掃除機みたいな音がします。
何が行われているのか想像したくない。
だから、息子を見ていました。
小さいな。
本当にいるな。
一生懸命泣いてるな。
息子のことを考えることで、自分のお腹から意識を逸らしていました。
息子がかわいくて仕方なくて見つめていた、というより、
息子に助けてもらっていたのだと思います。
眠る麻酔を入れます
息子との対面が終わり、夫と息子は先に手術室を出ました。
私はそのまま、手術台の上です。
「この後の処置はちょっと感触気持ち悪いと思うから、眠る麻酔入れようね。」
顔に酸素マスクが当てられます。
「大きく深呼吸してください」
言われたとおり、ゆっくり息を吸います。
「数を数えてください」
いーち。
にー。
さーん……。
どこまで数えたのかは覚えていません。
気づいたときには、意識が完全に途切れていました。
目が覚めたら、まだ手術室
次に目を開けたとき、私はまだ手術室にいました。
てっきり、眠っている間に病室へ戻り、次の日の朝になっているくらいのイメージでした。
でも、手術はまだ完全には終わっていません。
ちょうど、お腹を閉じているところだったと思います。
どこからか、
バチッ。
バチッ。
という音が聞こえました。
傷口を閉じるための医療用ホチキスの音だったのだと思います。
麻酔でぼんやりしている中、私が最初に言ったのは、
「麻酔ってすごいですね……」
でした。
さらに、
「起きたら翌日になってるのかと思ってました」
とも言った気がします。
今考えると、手術が終わる直前に目を覚ました人の感想として、ずいぶんのんきです笑
でも、そのときの私は、
さっきまで手術をしていたのに、一瞬で時間が飛んだ。
麻酔って本当にすごい。
ということに、素直に驚いていました。
病室で待っていた夫と息子
手術が終わると、私はベッドへ移され、病室へ戻りました。
体は重く、頭もぼんやりしています。
まだ、自分が出産したという実感はありません。
病室には、夫と息子が待っていました。
夫は息子を見ながら、何度も私に、
「ありがとう」
と言ってくれました。
私は、何と返したのか覚えていません。
ただ、夫が愛しそうに息子を見ていたことは覚えています。
夫婦二人だけだった生活に、一人増えた。
ほんの少し前までお腹の中にいた息子が、今は夫のそばにいる。
それでもまだ、
「本当に生まれたんだ」
という実感は、どこか遠くにありました。
陣痛も、麻酔も、手術も終わった。
息子も無事だった。
とにかく終わった。
そのことに、ただほっとしていました。
保育器としての役割は、ここで終わり
破水してから約一日半。
長かったようで、振り返るとあっという間でした。息子は無事に生まれてきてくれました。
保育器としての私の役割は、ここで終わり。
そう思うと、ほっとしました。
でも、その安心もほんの束の間。
息をつく間もなく、外の世界で息子を育てる母親としての毎日が始まりました。
この日のことを振り返って思うことは、また別の記事でまとめようと思います。


